文翔館

 

タクシーで文翔館に到着。

雨はほとんど上がっていた。

まあ、なんと立派な建物! これは来てよかった。

 

受付のところに、ガイドが頼めると書いてあった。

 

「ガイドは予約しないとダメですか?」

「大丈夫ですよ」

 

ということで、男性の方に案内してもらう。

後から来る団体に、ガイド二人がつく予定だったようだが、

私たちの為に 一人になった。

 

「どちらから、おいでですか」

「東京です」

「東京からいらした方は、入館無料です!」

    ・・・というのは 冗談で、誰でも無料。

 

  ここも無料? 山形太っ腹。

 

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ここは、県の管轄で、中の施設を有料で市民に貸し出しているそうだ。

なるほど、掲示板を見ると、音楽会があったり、展覧会があったり・・・

「大型公民館のようなものですか」

 

「文翔館」は明治時代に、初代山形県令三島通庸 みちつね が建てた山形県庁舎。

ほかにも、近代化を目指して、様々な土木工事や建物の建設をしたようだが、

大火で焼失してしまったとのこと。

 

鬼の三島とも呼ばれたそうだ。

今風に言えば “建物フェチ” “土木マニア” といったところか。

ネットで見ていたら、麻生太郎大臣は通庸の玄孫 やしゃご

 

大正時代に復元され、昭和50年まで県庁として使用されていたが、

県庁移転後、国の重要文化財に指定されたのを機に、

10年をかけて創建当時に近づける修復をしたそうだ。

 

 

政庁(会議室)、貴賓室、知事室・・・と次々部屋を案内してもらう。

偉い人の部屋ほど装飾が華やか。

漆喰の天井は、仕上げは一人の職人さんが手掛け、2年かかったとか。

花飾り復元の際、元々はなかった「さくらんぼ」や「紅花」を忍ばせたという説明も、何だかうれしい。

所々にゆがみのあるガラス窓があり、大正の創建時の物とか。

 

 

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時計塔は、4面に文字盤があって、ちゃんと稼働している。

 

時計職人さんが、5日に1度、分銅を手動で巻き上げているそうだ。

 

「ボランティアですか?」

「いいえ、嘱託という形です」

「その方がやれなくなったら、どうするんですか?」

「息子さんがやってくれます!」

 

戦時中は時計塔の銅板も、金属供出させられたそうで、

(ヤレヤレ・・・戦争に勝てるわけない!) 

戦後、鉄板でもどされた写真もあったが、デザインが省略されて貧相。

 

元の外観に修復された今の姿は、優雅で華やか。

 

昔は、4面の時計だけでなく、建物の他の部署の時計にも連動していたとか。

 

どんな仕組みだったんだろう?

 

 

 


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隣の建物は、旧県会議事堂で2階でつながっていた。

 

ホールも素敵だった。

音楽会だけでなく、

結婚式の披露宴にも利用されるという。

 

トイレは当時から水洗トイレだったそうで、

男性用しかなかったのは、

女性の参政権がなかった時代の名残。

 

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案内時間はおよそ1時間らしいが、

私たちがいろいろ質問するものだから、

閉館時間を過ぎてしまった。申し訳ない。

 

それでも、最後にこれは見せたいからと、

守衛さんが閉めた扉をわざわざ開けてもらって、

私たちは外から山形県議会議事堂の文字を見上げた。

 

 


 

また雨が降り出して、出口で逡巡している私たちに、

「ちょっとお待ちください。」と奥へ。

 

「文翔館」と書いた大きな傘を貸してくださった。

駅の観光案内に返してもらえばいいとのこと。

  

 

思いがけない重ね重ねのご親切に感激 !!