七時半熊谷寺出発。
昨日は泊めてもらえるかどうかで気もそぞろだったので、改めてお参りし、
今晩もちゃんと宿が取れるように、お願いして出る。
仁王門のところで、垢じみた男の人が、小枝を燃してご飯を炊いている。
門の柵には汚れた衣服や毛布が広げて かけてある。
修行遍路だろうか。それともただの乞食だろうか。
声をかけてみようかどうしようかと迷いながら 傍らを過ぎた
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9番、11番への道がわからなくて往生した。
人にたずねてばかりいた。
始めに渡った橋 欄干がありません
11番へ行く途中、吉野川をわたる。
さすが四国三郎というだけあって、とうとうとした流れ。
水かさは橋げたから1メートル下ぐらいまでもあり、タップリと豪勢に流れている。
こんな流れを見ていると、のっぺらぼうになった私の心にも、
ちょろちょろと水が染み出てきたような気がしてくる。
山も谷も、決して人を近づけない淵も、どうしようもない荒地もあった心の中が、
気がついたら、手のひらでペろりんとひと撫でしたように 平らになっていた。
友達は優しくなったといってくれるけど、骨抜きになっただけだ。
私は怒りを忘れてしまった。自分にも、他人にも、社会にも。
怒りは前進のエネルギーなのに・・・
会社の人たちはやさしかった。親切だった。
いたわりあい、慰めあい、思いやりあって、そして私はまあるくなった。
弱い心を投げあげろ
噛み捨てた青臭い核を放るように
ゆさぶれ ゆさぶれ
もう、ゆさぶるだけではダメなのだ。 道造の詩から飛び出さなくては。
この流れ出した水が、大きな川にそだってほしい。
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「渡し」がなくなったからこっちの道をと教えられて、
干上がった川を渡ったりしたが、
後から地図を見てもどこをどう通ってきたのかさっぱりわからない。
・・・とにかく 11番 藤井寺へ二時半に着く。
でも、これから焼山寺へは無理。
お寺では泊めてくれないので、
門前の「たつみや」に泊まる。
遍路宿とは言うものの、まるっきりの農家で、
「おんやど」の看板がなければ それとわからない。
宿のおじいさんも、奥さんも、猫もとても自然な感じで、ほっとする。
庭になったのだという柿をご馳走になる。
これが不思議にも、水気たっぷりの柿で、
とけかけたアイスを食べるように、せわしなく手首を返さないとぽたぽた落ちてくる。
何と言う種類の柿だろう、初めて食べた。
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お風呂は五右衛門風呂。
弥次喜多ではないが、入るのに四苦八苦。
思わず下駄がないかと見回した。
薄暗い裸電球が下がって、湯船には枯葉が2、3枚浮き
窓の桟の外には月が見える。風流この上もない。
が、このお風呂では寄りかかってのんびり風情を楽しむことも出来ない。
初めてでは、座っているのさえ難しい。残念!
この先一週間の計画を立ててみる。
29日には室戸岬の東寺ユースへ着けるだろうか。
明日は一日、遍路泣かせの難所と書いてある山越え。
足がもつか、心配だ。
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