ゆうべは物凄く冷え込んだ。
もう一枚布団が貰えないかと、夜中に隣のふすまを開けてみた。
泥棒になった気がした。
布団らしきものはなし。
宿の人に声をかけるわけにもいかず、着られるだけの服を着、ストッキングもはいて寝た。
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たつみやのおばさんが、お弁当を持っていったらいいと言う。
入れ物を持っているなら好きなだけご飯をつめていくといい、
おかずも持ってくるからといってくれた。
朝ご飯は、みそ汁、のり、卵、おひたし。
そして小さなお盆には梅干や昆布の佃煮、沢庵などがのっていた。
ペロリと平らげた。
容器に残りのご飯を詰め、梅干と沢庵はたくさんあって食べきれなかったので、
それもご飯の上に載せた。
身支度も出来て、後はお弁当のおかずが来れば、いつでも出発できる。
ところがまてどくらせど、おかずは出てこない。
さては、あの小さいお盆に載っていたのがそれだったか
・・・と気づくまで、30分もかかった。
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7時20分出発。
本堂の横からすぐ山道になる。
迷わないかと心配だったが、思った以上に道しるべが多い。
葉書ぐらいの青いトタン板が木に掛けられている。
白いペンキで、「遍路道しるべ」「大師道」
あるいは「南無大師遍照金剛」「へんろみち」など色々に書いてある。
「あと一息です」とか「よくお参りできました」というのもある。
実に的確な位置につけてあって、
間違ったかなとキョロキョロすると、必ず視野に入る。
一枚裏を返してみると、岡山県愛宕大師堂とあり、
日付が今年の春になっていた。
少しの不安もない。
道しるべを書けた人、それを見て越えた人、
何千何万という、人がここを通って行ったと思うと心強く、
またその人たちが見守ってくれているような気がする。
同行二人とはよく言ったものだ。
弘法大師が杖を引っぱってくれるような気さえしてくる。
江戸時代の年号を刻んだ古い石碑や石仏などもある。
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迷うことなく柳水庵に着いた。10時30分着。
藤井寺と焼山寺の中間というから
出発して三時間は早いペースだ。
ここまでは上がったり下りたり、時々吉野川が見えたり、
白い野菊が咲き乱れていたりで、楽な道だった。
途中K先生、Yさん、Kさんの名前を呼んでみる。
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ところがここから 次の番外一本杉までは、
とにかく上り上りで、息が切れた。
一本杉着11時30分。
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今度は下り。
のぼりづめもきついが、下りづめはもっときつい。
山を二つ越して、谷からまた山へ登った所が、焼山寺。
2時30着。女の足で9時間とあったが、7時間で着いた。
途中30分くらいお弁当を食べて、
山道16キロを7時間なら私の足も捨てたものではない。
焼山寺の境内へ入った途端、お接待しようと声を掛けられた。
個人タクシーの宮元富太郎さんと言う人だった。
お参りもそこそこに、車に乗る。
13番へは、バスでと思っていたのだが。------------------------------
東京からのお遍路さんを二人乗せていて、10日間くらいで回るのだと言う。
紅葉しかけた山の間を流れる鮎喰あくい川を右に左に見ながら、1時間で着いてしまった。
歩けば一日がかりだ。
途中の眺めが良かった。今度来た時は、ぜひ歩いて下りよう。
焼山寺もゆっくりm見られなかったが、また今度にしよう。
歩き始めると欲が出る。
13番大日寺に泊まることにする。
タクシーの宮本さんが、バス会社に勤めていた時からの知り合いだからと、
大日寺の奥さんに、頼んでくれた。
とてもいい奥さんだった。
宮本さん達は、今日は17番に泊まるそうだ。
別れ際に、「今度会ったらまた乗せてあげるよ」と言ってくれた。
今乗せている人たちが終わったら、またすぐ次の人を乗せて回るから、
追いつくだろうということだった。
汗になった衣類を洗濯して、すぐ前の一の宮城へ上る。
自分の足の強さに驚く。まだ平気。
本丸跡からの山々は、じっと夕闇を待かのようで、鮎喰川が静かに流れている。
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食事は、ものすごくおいしかった。すだちが添えられていた。
すだちを始めてみた..。
刺身醤油にも、おつゆにも、おひたしにも、なんにでもかけるとおいしいと言う。
やってみる。なるほど。
刺身のつまは、ハスイモの茎だそうだ。
イモとはいうものの、芋の部分は食べられなくて、
茎の皮をむいて水に放し、絞るそうだ。
さっぱりしてとてもおいしい。
ぜひ又ここで泊めてもらおう。
今日は、随分お接待を受けた。
たつみやで、柿を幾つでもといわれたが重いので2つ、柳水庵でみかんを2つ、
一本杉でお茶、途中でまた柿を2つ、そして車にのせてもらう。
感謝しなくては。
写真がパー!
フイルムの入れ方がまずかったのだ。 残念大失敗。
お弁当
どうやら密封容器も持って行ったようですね。用心のいいこと!
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遍路ころがし
八十八ヶ所の廻り始めは、お寺の間隔も狭く、じきに次の寺に到着するので心理的にも樂だ。足ならしもできる。
">そのうち間隔もあき、最初の難所が、この「焼山寺」への山越え。
「遍路ころがし」と呼ばれる厳しい道がこの他にも 3ヶ所くらいある。
番外 13番へ行く途中に番外として、「杖杉庵」というのがある。四国遍路を始めたという衛門三郎ゆかりの地で、51番石手寺につながる伝説もあり、外してはいけない場所だったろうが、私は通り過ぎてしまった。
番外でのご朱印は納経帖の後の余白ページに押してもらう。
何日もたたないのに、もうすっかり、また四国に来る気でいる。
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夜の献立 麩とわかめのお澄まし 刺身 ハスと海老と里芋と何かの煮物 ホウレン草のおひたし オレンジ
翌日の朝の献立 とろろ みそ汁 ちりめんじゃこの乗った大根おろし のりたまふりかけ
お接待 四国の人は実にお遍路さんに優しい。 四国遍路は、この「お接待」という やさしい風習に守られた四国一周オリエンテーリングだと思う。
お接待を受けた時の、作法などもあるようだが、何にも知らない私は、只「有難うございます」でニッコリ |
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