7 遍路ころがしの山越え    10/24 快晴  歩いた距離:16.8キロ

 

ゆうべは物凄く冷え込んだ。

もう一枚布団が貰えないかと、夜中に隣のふすまを開けてみた。

泥棒になった気がした。

布団らしきものはなし。

宿の人に声をかけるわけにもいかず、着られるだけの服を着、ストッキングもはいて寝た。

 

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たつみやのおばさんが、お弁当を持っていったらいいと言う。

 

入れ物を持っているなら好きなだけご飯をつめていくといい、

おかずも持ってくるからといってくれた。

 

朝ご飯は、みそ汁、のり、卵、おひたし。

そして小さなお盆には梅干や昆布の佃煮、沢庵などがのっていた。

ペロリと平らげた。

容器に残りのご飯を詰め、梅干と沢庵はたくさんあって食べきれなかったので、

それもご飯の上に載せた。

 

身支度も出来て、後はお弁当のおかずが来れば、いつでも出発できる。

ところがまてどくらせど、おかずは出てこない。

 

さては、あの小さいお盆に載っていたのがそれだったか

・・・と気づくまで、30分もかかった。

 

 

 

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7時20分出発。

本堂の横からすぐ山道になる。

 

迷わないかと心配だったが、思った以上に道しるべが多い。

 

葉書ぐらいの青いトタン板が木に掛けられている。

白いペンキで、「遍路道しるべ」「大師道」

あるいは「南無大師遍照金剛」「へんろみち」など色々に書いてある。

「あと一息です」とか「よくお参りできました」というのもある。

 

実に的確な位置につけてあって、

間違ったかなとキョロキョロすると、必ず視野に入る。

一枚裏を返してみると、岡山県愛宕大師堂とあり、

日付が今年の春になっていた。

 

少しの不安もない。

道しるべを書けた人、それを見て越えた人、

何千何万という、人がここを通って行ったと思うと心強く、

またその人たちが見守ってくれているような気がする。

同行二人とはよく言ったものだ。

 

弘法大師が杖を引っぱってくれるような気さえしてくる。

江戸時代の年号を刻んだ古い石碑や石仏などもある。

 

 

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迷うことなく柳水庵に着いた。10時30分着。

藤井寺と焼山寺の中間というから

出発して三時間は早いペースだ。

ここまでは上がったり下りたり、時々吉野川が見えたり、

白い野菊が咲き乱れていたりで、楽な道だった。

途中K先生、Yさん、Kさんの名前を呼んでみる。

 

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ところがここから 次の番外一本杉までは、

とにかく上り上りで、息が切れた。

一本杉着11時30分。

 

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今度は下り。

のぼりづめもきついが、下りづめはもっときつい。

山を二つ越して、谷からまた山へ登った所が、焼山寺

2時30着。女の足で9時間とあったが、7時間で着いた。

途中30分くらいお弁当を食べて、

山道16キロを7時間なら私の足も捨てたものではない。

 

 

 

焼山寺の境内へ入った途端、お接待しようと声を掛けられた。

 

個人タクシーの宮元富太郎さんと言う人だった。

お参りもそこそこに、車に乗る。

 

13番へは、バスでと思っていたのだが。------------------------------

 

東京からのお遍路さんを二人乗せていて、10日間くらいで回るのだと言う。

 

紅葉しかけた山の間を流れる鮎喰あくい川を右に左に見ながら、1時間で着いてしまった。

歩けば一日がかりだ。

途中の眺めが良かった。今度来た時は、ぜひ歩いて下りよう。

焼山寺もゆっくりm見られなかったが、また今度にしよう。

歩き始めると欲が出る。

 

 

13番大日寺に泊まることにする。

 

タクシーの宮本さんが、バス会社に勤めていた時からの知り合いだからと、

大日寺の奥さんに、頼んでくれた。

とてもいい奥さんだった。

 

宮本さん達は、今日は17番に泊まるそうだ。

別れ際に、「今度会ったらまた乗せてあげるよ」と言ってくれた。

今乗せている人たちが終わったら、またすぐ次の人を乗せて回るから、

追いつくだろうということだった。

 

汗になった衣類を洗濯して、すぐ前の一の宮城へ上る。

自分の足の強さに驚く。まだ平気。

 

本丸跡からの山々は、じっと夕闇を待かのようで、鮎喰川が静かに流れている。

 

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食事は、ものすごくおいしかった。すだちが添えられていた。

すだちを始めてみた..。

刺身醤油にも、おつゆにも、おひたしにも、なんにでもかけるとおいしいと言う。

やってみる。なるほど。

刺身のつまは、ハスイモの茎だそうだ。

イモとはいうものの、芋の部分は食べられなくて、

茎の皮をむいて水に放し、絞るそうだ。

さっぱりしてとてもおいしい。

ぜひ又ここで泊めてもらおう。

 

 

今日は、随分お接待を受けた。

たつみやで、柿を幾つでもといわれたが重いので2つ、柳水庵でみかんを2つ、

一本杉でお茶、途中でまた柿を2つ、そして車にのせてもらう。

感謝しなくては。

 

 

写真がパー! 

フイルムの入れ方がまずかったのだ。 残念大失敗。

 

 

 

 

 

 

お弁当

 

どうやら密封容器も持って行ったようですね。用心のいいこと!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

遍路ころがし

 

八十八ヶ所の廻り始めは、お寺の間隔も狭く、じきに次の寺に到着するので心理的にも樂だ。足ならしもできる。

 

">そのうち間隔もあき、最初の難所が、この「焼山寺」への山越え。

 

 

「遍路ころがし」と呼ばれる厳しい道がこの他にも 3ヶ所くらいある。

 

 

 

 

 

 

 

番外

13番へ行く途中に番外として、「杖杉庵」というのがある。四国遍路を始めたという衛門三郎ゆかりの地で、51番石手寺につながる伝説もあり、外してはいけない場所だったろうが、私は通り過ぎてしまった。

 

番外でのご朱印は納経帖の後の余白ページに押してもらう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何日もたたないのに、もうすっかり、また四国に来る気でいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夜の献立

麩とわかめのお澄まし 刺身 ハスと海老と里芋と何かの煮物 ホウレン草のおひたし オレンジ

 

翌日の朝の献立

とろろ みそ汁 ちりめんじゃこの乗った大根おろし のりたまふりかけ

 

 

 

 

 

 

お接待

四国の人は実にお遍路さんに優しい。

四国遍路は、この「お接待」という やさしい風習に守られた四国一周オリエンテーリングだと思う。

 

 

お接待を受けた時の、作法などもあるようだが、何にも知らない私は、只「有難うございます」でニッコリ