早朝の奥の院がいいですよといわれたが、
音声ガイドを借りる観光協会 中央案内所は8時半から開くというので、
それに合わせて出かける。
音声ガイドは、日、英、仏、中、韓の5か国語から選ぶ。
使い方を聞く。翌日の午前中までに返せばいいとのこと。
壊すと、弁償3万円。 ・・・返す時ちゃんと確かめられた。
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槇を売っているお店、
”高野山の花屋” と言ったところか
奥ノ院までの途中、苅萱堂(かるかやどう)に寄る。
壁にぐるりと、苅萱道心の絵物語の額が掛けられており、話を追って一巡。
本妻から殺されそうになった側室の千里姫を助けるために、
家来が別人の首を持って帰ったという段で、
「それはないよ!」と二人でプンプン。
夫は、仲良しを装いながら蛇のように争う二人の妻の嫉妬心に嫌気がさし、
家族も領地も捨てて とっとと出家してしまった。
どうしようもない奴だね!
それが苅萱道心で、千里姫との間に生まれたのが石堂丸。
話の主題はこの後なのだが、我々の興味を引いたのはこの前段の部分。
奥の院の入り口は 一の橋。
ここから千年杉が続く木立の間の石畳を進む。
ずっと墓がつづいているわけで、
音声ガイドについていた地図ではよくわからない。
看板に番号が付いているのを見つけたら、
ガイドを操作して聞くのがよさそうと、
そのうちに、気付いたが、
結構見落とした。
どれがだれの墓だか、
過ぎてみるとあやふや。
あんなに墓があるんじゃね。
思いがけない収穫は、
田舎の
「魚津市大師堂友心会の碑」というのを見つけたこと。
結構広い敷地に石碑が立っていて、
そこに刻まれた名前の中に、
同行する友人の、おじいさんや親戚の名前を発見。
彼女の家は 田舎じゃ名士、
話題のお土産ができたね。
↑(クリックで拡大)
「姿見の井戸」 というのがあった。
覗き込んで自分の顔が映らないと
3年以内に死んでしまうとか。
もちろんのぞいて、3年以内の寿命を確認。
思ったより深い。
げっ!
自分の顔が写っているのを確かめて
写真をとったのに
写ってない??!!!
弘法大師御廟 の前の「御廟橋」 に到着。 これからは写真の撮影も禁止。
橋を渡り、格子に囲まれた祠のなかに「みろく石」があった。
一見何の変哲もない石。
格子の一面だけ手を差し入れられるようになっていて、
正直者ならその石を片手で持ち上げられるという。
ちょうど、おじさんがためしているところで、
なんと! 一段高くなっているところへ ほおりあげるのに成功!
私にもできる?
反対側から棒でつついて元に戻してくれたので、挑戦。
う~~~~ びくともしない! “うそつき” だから?
・・・女の力じゃ無理よ!!
「御廟」到着
まずは裏手の御廟に回って、殊勝にろうそくとお線香をあげて合掌。
お大師さまは、この中でずっと生きていらっしゃるということになっている。
ぐるっと回って「燈籠堂」の地下へ降りる。
図書館の本棚のように配置されたラックの上に、
10センチくらいの仏様がすごい数、ずらっと並べられている。ナンバーがうってある。
38年前に来たときは、 こんなだったかなぁ・・・???
もっと深淵な、あの世に一歩踏み込んだ感じ がしたのだけれど。
上に上がると、1000年以上燃え続けているという
「白川燈」や「貧女の一燈」「昭和燈」などが遠くに見えた。
正面は開いていて、簾越しに後ろの御廟が見える。
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帰りかけたら、黄色い袈裟をかけたお坊さんが3人歩いてきた。
後ろの二人はマスクをつけて、長櫃をかついでいる。
もしやお大師様の御膳では?
弘法大師は生きていらっしゃるわけだから、
朝6:00頃と、10:30頃の二度食事が運ばれると資料に書いてあった。
宿坊の話では、
この御膳は、奥の院のお坊さんが作るのだが、
料理の腕は超一流、プロはだしで、とてもおいしいのだそうだ。
供えられたおさがりは、お坊さんたちでいただくとのこと。
う~~食べてみたい!
時間的に見れるのは無理とあきらめていたが、
まさかここで会えるとは、 超ラッキー!
あとにくっついて、再び燈籠堂へ。
正面の祭壇横で長櫃が開けられ、お椀に、ご飯と汁をよそっている様子。
ここまで運んできて盛り付けるのだ。
ふ~~んなるほど。
お大師さんはいきているから目の前でお給仕するのね。
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我々のお昼は、
大学時代の和歌山の友人と落ち合ってすることになっているので、
参道を一の橋まで戻る。
橋を出たところで携帯が鳴った。
みれば、何度も着信がある。
あららら・・・気がつかなかった。
電話したら、後ろの方の車から友人が手を振っている。
彼女は、参道を歩きはじめたら携帯が圏外になったので、あわててまたもどったのだとか。
こっちはのんきに構えていて、ずいぶん待たせてしまったようだ。
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近くの食堂に入る。「かつ丼」にする。
飛んできたハエを、彼女は優しく追い払う。
「高野山は殺生禁止だから」
「蚊が止まったらどうするの?」
「ふう~と吹くのよ」
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ご飯を食べて、車で女人堂まで送ってもらう。
我々と同年配?のおばさんが入ってきて、
お堂の人に「女人堂から歩いて下りる道はどこですか」と尋ねた。
来る時もそこを上ってきたのに、場所がわからなくなったとか。
私たちも、最初はその道を上ってくる計画だったのだ。
車の道を少し下がると、小屋があり、人が先に進まないよう見張っている。
その手前だからすぐわかるとの説明。
「見張ってるの? 見に行こう!」
残念なことに、見張りのおじさんはいなかった。
女人堂からの道は、町石道より広かった。
そのあと徳川家霊台に寄り、霊宝館まで送ってもらってわかれた。
昨日親切にしていただいたから、霊宝館には寄らなくちゃね。
なんと、窓口には昨日説明をしてくれた方が座っていた。
そして、もう一人の文化庁の人を呼びに行ってくれたようで、奥からわざわざでてきてくださった。
恐縮の極み。
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去る9月に、館内に展示していた執金剛神立像(しゅこんごうしんりゅうぞう)が倒れ、
足首と腕が折れてしまいました。
「まあ大変!」
ところがその際、ファイバースコープを入れてみたら、
中に快慶を表す文字が書かれていたので、快慶作ということがはっきりしました。
”快慶作だろう” というのと、”快慶作” というのとでは、補助金の額も違うのですよ。
「それは、不幸中の幸いでしたね。」
不謹慎だが、愉快な話
旧館の中は寒いですからお使いくださいと、チケットはホカロン付きだった。
私たちが見たいのは
快慶作の「広目天」を含む四天王像。
広目天は、素敵!のひとこと。
他の “チーム快慶” が作った3像と比べると、
全く隙がないというのが感想。
破損した像と対の
「深蛇大王」の像もこれまた素敵!
腕に蛇が絡み付き、髑髏の首飾り、お腹に人面
膝には象の飾りなど、遊び心? 満載で、
これを作っていたときは、快慶さんも楽しかったでしょうね。
このあとは、音声ガイドを聞きながら「檀上伽藍」を一回り。
夜はライトアップされている。
続いて「金剛峯寺」に寄って、中をぐるりと一回り。
いささかくたびれた。
帰るころになって、雨が降ってきた。
朝から雨の予報が出ていたのに。
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