4 鳴門の渦潮そして 一番霊場 霊山寺へ    10/20 晴れ

 

「素晴らしい眺めよ」と言う声で目が覚めた。6時50分起床。

なるほど起きてみると、天気はいいし、朝日は今昇ったばかりの顔をしている。

目の下には静かな入り江が広がっている。

顔を洗って、早速屋上で写真を撮る。

 

昨日は「おひかり様」で緊張して疲れたのか、良く寝た。

でも何だか夢もたくさん見た気がする。

 

八時半、ユースに泊まった一行揃って観潮に出発。

 

昨晩の話し合いで、せっかくだからみんなでいっしょに見に行こうということに。

一人は、半ズボンから毛むくじゃらの足にょっきりの、スパーニッシュ。

 

 

運のいいことに、潮見表によると今日は大潮。

 

最も潮の速くなるのは、11時ごろとなっている。

岡崎港から市営の無料の渡しで、土佐泊へ行く。

 

一人、紀貫之の碑を見に寄り道し、急いで一行の後を追う。

バスで、鳴門公園まで行く。

 

 

公園の上から見た鳴門海峡は、想像していたよりずっと狭く、

川のように見える。

 

ちょうど目の下の海底に段差があるらしく、

海水は瀬戸内海から太平洋側に白い波を立てて、すごい勢いで落ちていく。

 

船が見える。船は一旦潮に乗って太平洋に抜け、

それから大きな渦に乗るような形で、

ぐうっと瀬戸内海側に回り込むように戻り、淡路島に抜ける。

 

撫養むや港発10時の船が30分でこの鳴門公園に着く。

桟橋まで来るのかと思ったら、

はしけで本船まで運んでくれる。

 

船は淡路島へ、観潮しながら進む。

間近で見る潮流はさすがで、中からゴボゴボ湧き出すような感じだ。

白く、また碧く泡立ち渦巻く。

 

船が大きいせいか、それほど揺れはしない。

白い波の中に虹が立ち、じっと見ていると波の音も船の音も耳から消えていく。

 

うず潮を見るか、先を急ぐか迷ったけれど、

鳴門へ来てこのうず潮を見ないのは、バカ!

 

30分で淡路島へ着いた。

帰りの船までどうしたものかと、キョロキョロ。

 

「淡路人形祭」の のぼりが目に入る。

すぐ前の建物に「淡路人形座」の看板。

 

これを観れば、船の時間を一つ遅らすことになる。迷う・・・が、

徳島で人形浄瑠璃を見る機会があれば、と思ったりもしたことだし、思い切って入る。

 

外の見かけは風情もないのだが、中はこじんまり綺麗で、舞台も小さいが品がいい。

パイプ椅子が並び、両側にきらびやかな衣装の人形が並べてある。

 

演目は「傾城阿波鳴門」

まあ月並みなと思ったのだけれど、このあとの30分間の感動と興奮を、

私は生涯忘れない。

 

太夫は三十代のおばさんで、三味線は男の人だった。

ひざ掛けの毛布をわしづかみにし、腹の底から振り絞るように語る太夫の熱演と、

人間以上に人間らしい人形のしぐさ。

 

しゃくりあげ、しゃくりあげながら話すおつる。

 

そのとき おゆみの肩が震え、頬に涙が流れた。

まさか!人形が・・・

 

実際には、ちょうど頬の辺りに光が反射して白い肌が光ったのだが、一瞬我が目を疑った。

けなげな おつるに泣かされた。

恥ずかしいとは思うものの、こんなところで頑張っても仕方がない。流れる涙はそのまま。

二十人程の観客はみんな、初めから終わりまで涙を拭きっぱなし。

 

旅に出て初めて流す涙。気持ちのいい涙だった。

 

 

撫養むや 港に戻り、霊山寺りょうぜんじ のある坂東までのバスを50分くらい待った。

ところが、来たバスの行き先が、教えられたのと違っていた。

止めて聞こうかどうしようかとためらっているまに、バスは行ってしまった。

ドジな自分に腹が立つが、仕方がない。

 

汽車にしよう。駅まで行く。

が、次の列車まで1時間もある。

 

これで行くと霊山寺へ着くのがかなり遅くなってしまう。

ダメだ! 雨も降っているし、思い切ってタクシー会社に行く。

1000円以内で行くと聞いて、ほっとする。

970円だった。意外と安いものである。

 

 

なるほどばこれならば、3 , 4人連れだと

タクシーを乗り継いでいったほうが便利で安上がるかもしれない。

 

 

 

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霊山寺へ 4時過ぎに到着。

 

お遍路さんが大勢かと思ったら、境内はガランとしていた。

納経所の前を掃いていたおばさんに、八十八ヵ所を回りたいので、色々聞きたいと告げると、

住職さんを呼びに行ってくれた。

 

奥から、思いがけず若いお坊さんが現れて、びっくりする。

 

玄関には、遍路用品が並べてある。

 

玄関に上げてもらって、必要なものなどいろいろ聞く。

 

やはり 「お遍路さん」の格好をするのが良いだろうとのこと。

 

四国の人はお遍路さんを大切にするから、

それと判れば親切にしてくれるし、女一人なら防犯ベル代わりにもなる。

お遍路さんに悪さをする人もいないだろうから と、言われる。

 

覚悟する。遍路姿になる!

 

車のお接待などあっても、歩きたかったら、

「お願いの筋がありますので」と丁寧に断るように言われた。

好意はなるべく素直に受けるように。無作法に断っては、

他の遍路さんに、迷惑をかけるとの事。

 

 

今日は、霊山寺で泊めてもらうことにする。

 

2番までは行けると言われたが、最初からあわただしいのは嫌だし、

何事も慣れるまでは控え目に限る。

無理はしない。・・・何時ごろからこんな風に考えるようになったのだろう?

 

泊り客は8人で、私は8畳間に たった一人。少々心細い気がする。

ユースに比べると、宿泊料は高いだろうが、こんなにもてなしてもらっては申し訳ないと思う。

「四国八十八ヵ所」という本を買ったから東京から持って来た本は家に送ろう。

 

ピアノの練習曲が聞こえる。

 

 

 

二重瞼の大きな目、長いまつげで ハンサムなお坊さん。

これで正装されたらさぞかし女性の目を引くだろうと、不謹慎なことを思う。

 

Yさんが、平安時代 宮中の女人たちが、しょっちゅうお寺参りと言ってはお坊さんを見に行き、

清少納言もお経を聞きながら、うっとりとその横顔と声に 見惚れ聞き惚れていた・・・

というようなことを話してくれたのを、思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

鳴門の渦潮

資料を改めて見たら、

海峡の幅は、1300m!

 

私の見たのは干潮の渦。

 

満潮の時は、流れはもちろん渦のできる位置も異なる。

 

 

 

 

 

当時は「県民の熱意でかけよう鳴門大橋」のポスターをあちこちで見ました。

 

>zまさか、四国へ3本も橋が、かかってしまおうとは!

 

 

 

 

 

 

 

 淡路人形座

大衆芸能の力を体感。

 

 

 

四国遍路の旅とは言うものの、しっかり観光しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霊山寺山門

 

 遍路用品

こんなものを用意!

↓クリックすると拡大

宿坊での宿泊料

案内書を見ると、

1000円。多分・・・

 

お金の心配はしているくせに、何にいくら使ったのか、余り書き留めてない。

昔からどんぶり勘定だったか・・・

 

 

東京からの西端さんの本は、敬虔な遍路とはこういうものかと分かるのだが、何しろ、地図もなく初版が 昭和39年と古い。

少しでも荷物を軽くしたかった。