町石道と 中門再建現場

町石道 ハイキング ~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

町石道は、気持ちのいいハイキングコース。

 

途中、急なのぼりがあったりはするが、歩くにはもってこい。

次々に「町石」が現れて、それに励まされて歩き続けるという具合。

町石の前で手を合わせるのだとか。

 

 


 

袈裟掛石 -----------------------

 

弘法大師が袈裟をかけたという 「袈裟掛石」 があった。 

 

高さは1.5メートルぐらいかな、下に隙間が見える。

“くぐり抜けた人は長生きできる” と、案内板にある。

 

わが身を想像・・・  どうしたものか?

隙間は30センチくらいか?

 よし、チャレンジ!

 

頭を突っ込んだが、しゃがんだままではとても無理。

思った以上に狭くて、膝をついてなんとか抜けるしかない。

 

「大丈夫?」  と友人。

 

大丈夫? と言われてもね・・・

今更 体をもとにもどすのはもっと無理。

そのまま横向きに寝るようにして、ようやくにじり出た。

やったね!

     

「穴の中、お尻でいっぱいだったわよ」 と友人はケラケラ。

 

 

途中「押上石」「鏡石」などもあった。

高野山はもう紅葉は終わったかと思っていたが、 

まだきれいなもみじが残っていた。

 

先日、

自衛隊ごっこといって、2段ベットからとびおり、

眉の上を三針も縫った 孫娘よ、

おばあちゃんは、「ほふく前進」だからね!!


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矢立から約2時間の山道を歩き「大門」のすぐ前に到着。

 

その間に会ったのは、

外人の女性とその友人らしき男性(恋人ではないよね)一組だけ。

 

 

上ってきた町石道を振り返ったところ 


高野山大門到着 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

大門は思った以上に立派。

街の西のはずれで、

多分ケーブルで上がってくる観光客は

あまり来ないだろうと思えた。

 

 

私も前に来たときは寄らなかった。

四国八十八か所を回る前に高野山に寄り、

その足で和歌山から船で徳島に渡った。

 

38年ぶりの四国遍路のお礼参りだ。


街に入って驚いたのは、街中を走る車のスピード。

速度出しすぎと違う?!

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道の脇にも もみじが残っていて、

 

お坊さんがお掃除。 絵になるねぇ~~とパチリ。

 

 


更に進むと、

中年男性二人が、道脇の少し高くなった植え込みのところで、

しきりに林の茂みに向かって写真を撮っている。

 

何を写しているのかしら?

 

見つめている私たちに気づいて、

「撮りますか? この中が一町石です。」

 

 へっ?!

 

パンフレットに、

根本大塔手前の「一町石」は

柵の中にあるから見過ごさないようにとあったのは、

 

コレかぁ!

 

 


お二人は、霊宝館の人で、一人は文化庁からの出向、もう一人はお寺の関係者とのこと。

 

「一町石」がわかりにくいので、道に出せないかという話があり、

それを検討しているとのこと。

 

昔は道の脇にあったに違いないのだが、多分道路を拡張したか何かの時に林の中に移動されたらしい。

そしてその後、文化財に指定するための調査があった際、その場所が記録されてしまったので

簡単に動かすわけにはいかないとのこと。

 

・・・・・なるほどね。

 

 

「二町石は見ました?」

ええっ?  ・・・私たち、それも見逃してる!

 

「ついでに車で送りましょう」

 

100メートル位だから歩いて戻るのはわけないのだが、

厚かましく車に乗せてもらって逆戻り。

 

なんと、先ほどお坊さんがお掃除をしていた後ろに、「二町石」 があった。

 

 


中門再建現場 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

再び一町石のところまで送ってもらい、

金堂や根本大塔を見て行くといいですよと薦められて一緒に歩く。

 

高野山では、平成27年4~5月に

高野山開創1200年の記念大法会があるそうで、

それに向けて金堂前の中門が再建中。

 

天保年間に焼失し今まで再建されなかったのだとか。

 

 

工事現場は建物で覆われ、壁には完成図が描かれている。

 

金堂側からはガラス越しに工事の様子が見られるようになっている。


 

そんな説明をしてもらっているところへ、

工事現場から責任者風の人が出てきて、くだんの文化庁の人に挨拶。

「中へ寄っていきませんか」

「ではそうしましょうか」 ということになり、

 

一緒にいた我々も、後にくっついて、建物の中に入ってしまった。

 

現場の人は、私たちの分のヘルメットも持ってきてくれた。

あらまあなんという成り行き。くっついてきてよかったのかしら。

 

工事の人も、外から見ている人達も、 

リュックを背負ったおばさんたちは何者? と思っているにちがいない。

 


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中には基礎石が並んでいた。

石の上にチョークで書いたような赤い印。

 

吊りあげた柱をおろしては、また上げ、柱の底を削っている。

なんと、石の表面の凸凹にぴったり合うように柱の底を加工するのだという。

 

ひぇ~~~ そんな緻密なことをするの。

 

 

どうやって石の上に柱を立てるのかと、かねがね不思議に思っていたが、

まさか柱を石に合わせるとは・・・

柱が下ろされた時は、石の上に置いたというより、石に柱が埋まっているようにさえ見える。

歯医者で、色紙をかませて、高さを削るのと同じ要領

 

何本も短い柱が寝かせてある。

切り口の細工からすると、多分つなぎ合わせて高い柱にするのね。

 

 

(↓クリックすると画像が拡大します)

「金堂にずいぶん近いですね。 近すぎません?」

 

焼失しては 建て直しを繰り返している間に、

金堂は本来の場所から少し西へ移動し、

中門の礎石との中心線がずれてしまったので、

昔の残っている礎石と金堂の間に新たに礎石を置いて、

中門が再建されることになったそうだ。

 

建物の外の鉄板に、

白い線が描かれているのが、本来の礎石がある場所で

その上を覆って工事中保護しているとのこと。

 

他にもいろいろ詳しく説明をしてもらった。

 

何という幸せな成り行きだったこと!

 

 


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前日は、火災訓練の放水があったそうだ。

 

高野山には普通の火災に備えての消火栓と、文化財用の消火栓と二本備えてあるそうで、

文化財用の貯水池は山の上にしつらえてあるとか。

万が一の時は、高圧の水が出るのね。

 

一番怖いのは火だそうで、

火災に対する備えに、ものすごく力を入れている熱意が伝わってくる。

 

「どうしてそんなに火事が多かったのかしらね?」

「落雷で火事になったって言ってたじゃない」

「ろうそくや火がいつもあるしね。」

「寒いから、暖を取る火の不始末もあるかしら?」

 

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霊宝館のお二人と別れ、伽藍の見学は明日にして、観光協会に向かう。

ツアーのサービスに、音声ガイド機の貸し出しがあったのでその下調べ。

 

明朝借りることを約束して、宿坊に向かう。